2016年の身延参り(御廟所・御朱印3種)
身延の門前町は総門から始まり、南から北に伸びる参道の両側に、食事処・土産物屋・仏壇仏具店・旅館・豆腐屋さん(落語「甲府い」由来?)などが立ち並び、三門まで続いています。三門を潜ると、本堂まで続く287段の石段「菩提梯」が始まります。
三門の左右(東西)には、それぞれ自動車などで久遠寺の境内まで行くことのできるに迂回路があり、その道路沿いには「東谷」、「西谷」という、宿坊(寺院に併設された檀信徒向け宿泊所(信者でない一般の人も宿泊できる))が点在する街並みが広がっています。
この「西谷」地区に、日蓮聖人が身延御滞在中にお住まいだった庵の跡である「御草庵跡」やご遺骨をお祀りした「御廟所」などがあります。
りんや木柾、香炉台などが置かれた舞台のようなこの場所が「拝殿」、向こうに見える党が「御廟所」です。
「御廟所域」の寺務所である「常唱殿」から御廟所に向かう参道の左手に、「御草庵跡」があります。
以下は、久遠寺・奥之院思親閣・御廟所でいただいた御朱印です。
2016年の身延参り(奥之院思親閣)
久遠寺本殿から奥之院思親閣に至る参道は徒歩2〜3時間の山道。
現在は、これをショートカットするロープウェイがあり、約7分で山頂に至ります。
以下の写真は、ロープウェイの車窓から東方、富士川と河畔に広がる身延の町などです。
ロープウェイの「奥之院駅」を降りてすぐ、短い参道があります。
山門の左右の格子の中には、諸宗のお寺でも見かける「阿吽」の仁王様がいます。
参道の麓にある日蓮聖人の銅像。東の方角を向き、はるか上総国(カズサノクニ, 現千葉県北部)の方角を眺めているお姿です。日蓮聖人は、この位置から東を望み、故郷のご両親をお偲(シノ)びになったそうです。奥之院の名前「思親閣」の由来であります。
日蓮聖人の視線の先は、↓このように見えています。
休憩所と杉の大木が邪魔で、あまり千葉県は見えません。銅像の位置を降りて、休憩所の横に入ってみると、視界がひらけます。
この日(11月20日)の未明まで雨が降っていたためか、霞がかかってあまり遠くが見えません。空が澄みわたっている時なら、千葉県は見えるのでしょうか。
参道の両脇には、「日蓮聖人お手植えの杉」が3本あります。
参道を登りきり、山門をくぐると、「奥之院思親閣」です。
ピンボケしてしまったので、小さいサイズで。
奥の院の境内の西側の短いハイキングコース(徒歩3分)山道を歩くと、展望台があり、山が見えます。
身延の町の4大聖地の一つ、七面山です。
谷を挟んで向かい合う尾根の上に、日蓮宗の守護神「七面大明神」をお祀りする「敬慎院」があります。こちらのお参りには往復で8時間はかかるため、お参りはまた別の機会にいたします。
2016年の身延参り
2月になくなった亡父の納骨のため、2016年の11月18日から20日にかけて、身延山にお参りしてきました。
(本堂(左)と祖師堂(左))
(五重の塔と鐘楼)
本堂(左)・祖師堂(中)・仏殿(右)。祖師堂と仏殿の間の階段の奥に報恩閣(参拝者受付)、報恩閣の右側に御真骨堂の拝殿があります。
御真骨堂の拝殿。堂内には左右に祭壇があり、中央は、御真骨堂に通じる吹き抜けになっています。祭壇には、左に三十番神、右に七面大明神が祀られています。
仏殿。納骨法要の会場となる建物です。
正面・大客殿。団体参拝者用の休憩所。私が行ったときは、正面玄関は閉ざされていて、南隣(=写真右端の樹木の向こう側)の法喜堂から中に入りました。廊下で仏殿〜報恩閣〜拝殿〜祖師堂〜大本堂などと繋がっています。いくつかの部屋に別れていて、そのうちの一つで大黒天がお祀りされています。
HOME PAGE (2016.7)
※日像教団関連情報
※法華経
※法華経守護の諸天・善神
▪法華経守護の諸天善神(1)「大曼荼羅御本尊」に勧請されている諸天・善神
▪法華経守護の諸天善神(2)鬼子母神・十羅刹女と三十番神
▪法華経守護の諸天善神(3)金龍山妙国寺の神札に勧請されている諸天・善神
▪法華経守護の諸天善神(4)若珍大明神(近江守山今宿)
▪法華経守護の諸天善神(5)水上山妙光寺の神札に勧請されている諸天・善神
▪法華経守護の諸天善神(6)鬼子母神像・大黒天像をお迎え
※参拝記録
▪祖山・身延山久遠寺
▪今までにお参りしたお寺(その1)
【参拝記その1〜6】は準備中
▪︎具足山妙顕寺(京都市上京区妙顯寺前町)参拝記【参拝記その1】2014.5.9
▪︎具足山立本寺(京都市上京区一番町)参拝記【参拝記その2】2014.6.2
▪︎具足山妙覚寺(京都市上京区下清蔵口町)参拝記【参拝記その3】2014.6.16
▪︎深草山宝塔寺(京都市伏見区草宝塔寺山町)参拝記【参拝記その4】2014.6.30
▪︎松崎山湧泉寺(京市左京区松ケ崎堀町)参拝記【参拝記その5】2014.6.23,7.4
▪︎鶏冠山南真経寺(京都府向日市鶏冠井町大極殿)参拝記【参拝記その6】2014.7.7
▪法光山妙蓮寺(京都市南区)参拝記【参拝記その7】 2014.11.24
▪寿福山十如寺(京都市上京区下堅町)参拝記【参拝記その8】 2014.12.1
▪卯木山妙蓮寺(京都市上京区妙蓮寺前町)参拝記【参拝記その9】 2014.12.1
▪具足山本像寺(滋賀県守山市今宿)参拝記【参拝記その10】 2014.12.8
▪長照山真常寺(滋賀県大津市末広町)参拝記【参拝記その11】 2014.12.25
▪大本山妙顕寺・「花祭り並八日講」に参詣 2015.4.8
▪水上山妙光寺・「三社大明神例大祭」に参詣 2015.5.17
▪本境山妙智寺(福井県越前市武生柳町)参拝記【参拝記その12】 2015.8.10
▪長栄山本行寺(福井県越前市武生柳町)参拝記【参拝記その13】〜「岩題目」と「題目岩」 2015.8.10
※三十番神巡り
▪︎三十番神めぐり(1):苗鹿大明神・大比叡大明神・小比叡大明神・聖真子権現・客人権現・八王子権現・建部大明神
※その他
三十番神めぐり(3):大和・摂津の諸社寺
平成26年(2014)までに、三十番神のうち20柱をお参りしたことについては、平成27年(2015)元旦のエントリーにて報告致しましたが、その後の参拝状況は次の通りです。
———————————————————————————————————————
【平成27年(2015)年6月18日参拝】
春日大明神(十五日配当 大和:春日大社)
———————————————————————————————————————
【平成28年(2016)年1月6日参拝】
廣田大明神(三日配当 摂津:広田神社)
———————————————————————————————————————
【平成28年(2016)年7月20日参拝】
住吉大明神(二十三日配当 摂津:住吉大社)
----------------------------------------
今後お参りする予定の神さまは、以下のとおり。
一日 熱田大明神 (尾張:熱田神宮)
二日 諏訪大明神 (信濃:諏訪大社・上社・本宮)
四日 氣比大明神 (越前:気比神宮)
五日 氣多大明神 (能登:気多大社)
六日 鹿島大明神 (常陸:鹿島神宮)
十日 天照皇太神 (伊勢:伊勢神宮・内宮(皇大神宮))
三十日 吉備津大明神 (備中:吉備津神社)
法華経八の巻をお迎え
今回のエントリーのタイトルにある「法華経八の巻」とは、釈尊の教説の極意が説かれているとされる「法華経」(妙法蓮華経)全28品(=「章」)を、八つの巻物に収めた経巻です。
日蓮宗では、「法華経」を「所依(しょえ)の経典」として信仰の対象としており、寺院の本堂では、本堂正面の導師席の脇などに、経巻や折本の形式の法華経一式が配置されています。
一般家庭では、法要や日々の勤行で使用する主要な品、節を抜粋した一般檀信徒向けの小冊子が、お寺から各檀家に配布されることが多いようです。
⭐︎経巻形式の八巻本法華経の数々
※奈良国立博物館収蔵品データベース「重要文化財 法華経 巻第一~巻第八」
⭐︎折本形式の八巻本法華経
※折本の形式の法華経(千葉市若葉区・青雲山妙恩寺Webサイトのコンテンツ)
以下は、法要や日常の勤行で使用する主要部のみを収録した檀信徒向けの常用経典集。左は、棚経でお世話になっている水上山妙光寺からいただいた折本。右は、どのような経緯で我が家に来たかは不明ですが、曽祖父の代からわが家に伝わる木版摺(ずり)の折本。
左は大八木興文堂の印刷(発行が妙光寺)、右は、曽祖父が白紙を継ぎ足し、御妙判を筆写するなどの加工を加えた折に奥付ページをカットしてしまったらしく、残念ながら版元不明。タイトルの文字も、擦り切れて読めなくなってしまっています。
平楽寺書店から刊行されている『妙法蓮華経要品』(/ 改正訓點句讀清濁 真読大型(かな無)紙表紙)と目次ページや凡例、「序品第一」などの文面がよく似ている(上記リンク先の2枚目の写真などを参照)ので、こちらも平楽寺書店の刊行かも。
大八木興文堂、平楽寺書店とも、日蓮宗の経本の製造元, 出版・発行元として有名な書店です。
折本形式の経本は、以下のような形で折りたたまれていて、右から左へと読み進めていきます。
「身口意の本尊(しん く い のほんぞん )」という考えがあります。
「身の本尊」=仏のお姿。仏像・仏画
「口の本尊」=仏のことば。経典。
「意の本尊」=仏の心。仏塔など。
日蓮宗家庭の仏壇でいうと、「身の本尊」は「三宝尊」のうちの釈迦如来と多宝如来、「口の本尊」は法華経、「意の本尊」は「三宝尊」のうちの題目塔ということになるかと思います。大曼荼羅は…。これら全てを包摂し、超越している存在?た
我が家では、「口の本尊」としてお祀りするのは右側のもの、法要や日々の勤行などで読誦に使用するのは左側のものを用いてきましたが、先日たまたま「宗教工芸(寺院用具・仏壇仏具・別誂修理一式))極楽堂」という仏壇・仏具店のWebサイトで、一般家庭用の超小型「八の巻」・経机のセットが展示されているのを見かけたので、このたび、これをお祀り用としてお迎えすることにいたしました。
横幅60mm、奥行58mm、高さ35mmの小さな帙(ちつ)に収められています。
→ 極楽堂さんの通販サイトはこちら
極楽堂さんは、神戸市兵庫区西上橘通に店舗を構えておられる仏壇・仏具点です。
→ 会社概要
価格は、平成28年(2016)7月の購入時点で、経巻が¥8,856(税込)、経机が¥7,884(税込)。
経巻の端は経巻本体に糊づけされていて、さらに上下は金箔で葺(ふ)かれており、中を見るには、巻物を傷める覚悟で剥がさないといけません。
中身を確認できないので、極楽堂さんに『商品説明に「中にはちゃんと法華経が印刷されています」とあったのですが、本当に印刷されているのでしょうか』とちょっと失礼な質問メールを送ったところ、とても丁寧なご返信メールをいただきました。以前に店長さんが開封なさった経巻の写真を送ってくださったほか、八の巻の各巻に収録されている経文の内容・構成を調べて教えてくださったのです。
この経巻の文字は、こんな感じです。
( 以上の1枚は、極楽堂さんのサイトから、許可をいただいて転載させていただきました。7月末〜8月初旬に改定された現行の「商品説明」にも、上記の写真を含め、開封状態の経巻の写真が3点掲載されています。)
全八巻の内容は、
巻一:
序品第一・方便品第二
巻二:
譬喩品第三・信解品第四
巻三:
薬草喩品第五・化城喩品第六・授記品第七
巻四:
五百弟子受記品第八・授学無学人記品第九・法師品第十・見宝塔品第十一
巻五:
提婆達多品第十二・勧持品第十三・安楽行品第十四・従地涌出品第十五
巻六:
如来寿量品第十六・分別功徳品第十七・隨喜功徳品第十八・法師功徳品第十九
巻七:
常不軽菩薩品第二十・如来神力品第二十一・嘱累品第二十二・薬王菩薩本事品第二十三・妙音菩薩品第二十四
巻八:
観世音菩薩普門品第二十五・陀羅尼品第二十六・妙荘厳王本事品第二十七・普賢菩薩勧発品第二十八
(以上、極楽堂さん調べ)
もともと極小サイズの経巻で、写真にも見えるように、上下幅が58mm(二寸弱)の紙に、上下の余白を加え1行あたり18~20文字。もし開けた場合でも、文字は非常に細かく、日々の読誦( どくしょう)に用いるにはまったく向かないでしょう。純粋に、お供えしてお祀りするための経巻と言えるかと思います。
この経巻は、極楽堂さんの製造ではなく、京都から仕入れておられるとのこと。
よその仏壇・仏具店でも扱っているところが他にあるかもしれませんが、ネット通販では、極楽堂さんのサイト以外では見かけたことがありません。
長栄山本行寺(福井県越前市武生柳町)参拝記【参拝記その13】〜「岩題目」と「題目岩」
このエントリーには、「岩題目」と「題目岩」という副題がついています。福井県にある、よく似た名前の日像上人のふたつの聖遺物について紹介します。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
妙智寺と隣接して、長栄山本行寺があります。
このお寺は、永仁2年(1294年)日像上人の開基。
もとは真言宗寺院で、時の住持は上洛途上の日像上人に法論を挑み、論破されて日像上人に帰依、名を「府南坊日了律師」とあらため、お寺も改宗・改名して「長栄山本行寺」となったとのこと。
本行寺 全景
本行寺 本堂
山門をくぐると、本堂の前には、題目塔の上部のような石柱を、文字の刻まれた岩にセメントで固定した岩塊があります。
日像上人の聖遺物のひとつ。解説はのちほど!
庫裏で訪いを入れるると、幸いにもお上人はご在席でした。
こちらのお寺では、お盆の法要は翌11日ということで、本堂は、参拝者のための椅子や、お供えものなどの入った段ボール箱があちこちに積み重ねられ、大変な混雑です。息子さんとともに翌日の準備をなさっておられたのを中断し、お参りの希望をこころよく受け入れてくださったのでした。
こちらのお寺でも、本堂内部の、ご本尊をお祀りする中央祭壇の左右に三十番神や鬼子母神と十羅刹女などの神様たちをお祭りする祭壇がもうけられていました(武生市内の日蓮宗のお寺では、「法華経擁護の諸天善神」をお祀りするのに、本堂の内部に祭壇を設けるのが標準なのでしょうか。まだ三ヶ寺しか拝見していないのに結論を出すのは早計かもしれませんが、本堂とはべつのお堂を設ける京都・滋賀のお寺とは対照的であるように思いました)。
お経の奉読を終えると、お上人は、このお寺の沿革についてお話しくださいました。
・武生では町が全焼する火難が何度かあり、このお寺も山門をのぞく伽藍を焼失、古記録を失ってしまったこと。
・山門は、独特の「薬医門」という様式の貴重なものであること。山門の屋根瓦が赤いのは、火事で変色したのではなく、独特の釉薬によるもの(木材の部分に、火事の痕跡がのこっています)。
本行寺 山門
本行寺 山門由緒書
・本堂前の岩塊は、日像上人が岩肌に書いたお題目を刻んだ「岩題目」。かつて、武生の西南の山中にある小野町にあったもので、吉野瀬川ダムの建設により水没するため、岩肌より削り出し、本堂前に安置しなおしたものとのこと。
岩題目の右手前にある「日像聖人染筆岩題目」碑には、「この岩題目は、旧武生市小野山中の山肌に刻書されていたものを、小野町ダム水没化に伴い、当地に移転建立するものなり」と、記載されています。
小野町の日蓮宗の信者が本行寺の檀家さんであったというご縁で、こちらにお迎えすることになりました。文字がきざまれた部分を、碑面を破損することなく削り出すという大掛かりでたいへんに難しい作業であったが、お国の費用でやってもらえたそうです。
この題目岩がもともとあった場所にいくための道は、工事のためすでに通行通不能となっており、跡地そのものも、いずれ水没してしまうとのことでした。
こちらのお寺に訪いをいれたとき、日像上人が開かれたり、改宗させたお寺をお参りしていることをお伝えしましたが、「そういうことなら、まずお参りすべき「四箇聖跡」というお寺がありますよ」と、以下のお寺を紹介していただきました。
日像上人四箇聖跡(しかせいせき)
光明山妙勧寺 (1293年,越前) 越前市武生今宿町。
大谷山妙泰寺 (1294年,越前) 南条郡南条町西大道。
最初具足山妙顕寺 (1294 年,越前) 敦賀市元町。
後瀬山妙興寺 (1294 年,若狭) 小浜市鹿島。
ぼちぼちと、お参りしていこうと思います。
お上人よりいただいた御首題(御朱印)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
さて、福井県内には「日像上人によって岩肌にきざまれた題目」という聖遺物がもう一箇所あるのです。
このブログの「日像上人の霊蹟・由緒の地」に「▪文殊山題目岩」としてリストアップしている霊跡がそれです。
『福井県史』「通史編2 中世」や、「上文殊の伝説」などによれば、日像上人が越前を南下する途上、当時の街道がとおっていた文殊山の麓において、岩に題目を刻み、のち「題目岩」とよばれて崇敬の対象となっている、という記述があります。
文殊山は、福井市と鯖江市の境界にあり、全行程 分ほどのハイキングコースになっています。文殊山の麓には、この題目岩を護持するため、大正寺代に妙真尼という方が建立した岩題目山妙真寺というお寺もあります。
じつは、本行寺のお上人から「岩題目」のお話をうかがっているとき、この「題目岩」と混同しながら聞いておりました。
こちらの題目岩も、いつかお参りしたい霊跡です。
本鏡山妙智寺(福井県越前市武生柳町)参拝記【参拝記その12】
平成27年(2015)8月10日、菩提寺の金龍山妙國寺(福井県越前市武生京町)で「銅像法要・盂蘭盆会法要」が開催されたのに参列してきました。10:30~11:30。
法要のあとは本堂でお斎のふるまいがあり、父方親族の同窓会みたいな集いと相成りました。
親族一同解散ののち、ちょっと寄り道して、近所にある日像上人開基のお寺をお参りすることにしました。
妙國寺から50mほど東に歩くと、武生の旧市街のメインストリートである「総社前通り」にでます。
この通りを南下した隣町が「武生本町」、右手に「華岳山 経王寺」がみえてきます。
門前の由緒書きによれば、このお寺は、日像上人の開山。もとは戦国大名朝倉氏の帰依を受け、一乗寺谷(現福井県福井市城戸ノ内町)に建立されていたのを、前田利家によって現在地に再建されたものとあります。このお寺は、参拝対象としてリストアップしていなかったのでちょっとビックリ(→帰宅後、「日蓮宗寺院大鑑」をチェックしなおしたところ、[沿革]欄の冒頭部が「貝山実成院日淳。筵師法縁。」とあり、「歴代」の欄では「1.日淳 元和2,3,17(1616)」とあったので、[沿革]欄を熟読することもなく、リストには加えませんでした。「大鑑」では、上引の文面につづけて、「もと足羽郡一乗村にあったが、朝倉義景が滅亡した後現在地に再建。(中略)承応・嘉永年間2回にわたり火災にあい、寺宝, 記録を失う。(中略)(大観には開基日淳、開山日像とある)」と、日淳上人以前の中世期からの歴史をもつ、日像上人ゆかりの寺であることについても、はっきりと記述がありました)。
山門あたりから中を伺うと、このお寺では、まさに今これからお盆の法要が行われる様子で、お寺の方や檀信徒の方が慌ただしく動いています。
お参りは遠慮させていただき、さらに南下します。
本町をすぎて柳町に入ると右手に見えてきたのが本境山妙智寺。
このお寺は、永仁年間(1293-99)、もと高野山系真言宗寺院。日像上人により改宗、日真上人(応永元年寂)により、天授元年に「改宗手続き」を終えたとの由。
「子育鬼子母神」の幟(のぼり)が2流、おおきくはためいています。
庫裏前にて訪いを入れると、あいにくお上人は不在でしたが、奥様がおられ、本堂への参拝をお許しいただきました。
本堂内は、ご本尊や三師像が祀られている中央祭壇の右手に、鬼子母神・十羅刹女や三十番神が祭られている小さな祭壇が二つあり、左手には、身長60cmほどの大黒天をお祭りする大きな祭壇があります。導師席の背後には、檀信徒のためのお経本(「日蓮宗謹行式」の略本・詳細本)、本堂右手には大黒天専用のお経本があり、左手には檀信徒の皆さんが納めためた「大黒天さまへの祈願のお札」が壁一面に掲示されていました。
このお寺は、とくに大黒天を信仰する人々が集うお寺のようでした。
いつものお経セットを奉読したのち、奥様にお寺の特徴などを伺いました。
こちらのお上人は、大荒業を3回成満(じょうまん)され、大黒天の祈祷を行う資格を得らたとのことです。
いつか、お上人がおられるときに、また参拝したいと思います。