長照山真常寺(滋賀県大津市末広町)参拝記【参拝記その11】
今回のエントリーは、去年の暮れ(2014年12月25日)にお参りさせていただいた長照山真常寺(滋賀県大津市末広町)の参拝記です。
このお寺は、永仁六年(1298)、日像上人が天台宗から改修させたお寺です(縁起の詳細はこちら)。
下見で訪れてみると、このお寺も、観光地化していない、ふだんは檀信徒の方だけがお参りしている…という雰囲気のお寺でした。電話にて「千箇寺参りを志しています。菩提寺の所縁から、日像上人の建立・改宗されたお寺を中心にお参りしております。つきましては、…」と、なぜ真常寺さまにお参りしたいかも含めて参拝の希望を申し上げると、快く応じてくださり、ご都合のよい日時をいくつか挙げてくださったので、この日を選ばせていただきました。
山門。西向きに開いている。
右:庫裏。正面:本堂。左:三社宮。
本堂。
本堂の扁額
本堂へは庫裏のほうからあげていただき、ご本尊の前で、方便品・自我偈・欲令衆・唱題・宝塔偈・以要言之などのセットを奉読させていただきました。
本堂でのお参りを終えたあと、庫裏のほうで、お茶菓子などをいただき、すこしだけ世間話のお時間をいただきました。
お上人からは、このお寺の歴史について、「大鑑」にものっていないお話をくわしく聞かせていただきました。私の自己紹介としては、福井県武生の妙国寺の檀信徒であり、棚経では大津市の妙光寺にお世話になっていること。弟がなくなり、身延山にお参りしたことをきっかけに千箇寺参りを志したこと。などを申し上げました。また、お上人からは、ご近所ということもあってか、妙光寺との関わりについてお尋ねがあったので、ご先代の時に、菩提寺から紹介されて棚経に来ていただくことになったこと、ご先代が体調を崩されてからは、ずっとお孫さんの若上人に来ていただいていること、若上人が初めてわが家にいらしたのはお坊さんになられてすぐのころで、初々しい、ちょっと頼りなげな感じがあったけれども、その後、大荒業を2度にわたり「成満(じょうまん)」され、いまでは堂々たるご貫禄のご様子になられた…などと申し上げました。
(2016年8月17日付記:わが家に初めていらした折、「先代の孫です」と自己紹介されたので、勝手に「若上人」だとばかり思っていたのですが、先日、拙ブログをご覧になった妙光寺の当代上人さまよりご教示があり、お父上はかねてより大津市の妙光山本長寺の住職をされており、当代上人は、お祖父様を継いで妙光寺の住職となられたとの由。つまり上記で「若上人」(=副住職の敬称)と記しているのは誤りということになります。こちらのエントリーなどは、さっそく記述を訂正いたしましたが、こちらのエントリーは真常寺のお上人との会話の記録でもある(真常寺のお上人にはずっと勘違いしたまま「若上人」とお呼びもうしあげ続けた)ので、訂正せず、この付記をつけました。)
こちらは、お上人に書いていただいた御首題。
庫裏を退出したのち、境内摂社にお参りしました。
真常寺には二つのお宮さんがあります。
三社宮。
最上稲荷。三社宮の左手奥。