日像上人の足跡をたずねて
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日像上人の足跡をたずねて

日像上人の霊蹟、由緒の地の巡礼記

寿福山十如寺(京都市上京区下堅町)参拝記【参拝記その8】

本日は、日像上人が京都・北野の地にひらいた法華堂を起源とする寿福山十如寺にお参りすることにしました。
北野とは、上京の西北の端のほう、あの有名な北野天満宮などがある一帯です。
北野天満宮の大鳥居から南にのびる御前通より一筋西の天神通から400メートルほど南下すると、東側に通路を挟んで題目塔と「妙見大菩薩常夜灯」がならび、その奥に伽藍がみえてきます。
その奥に鎮座ましますのが、めざす寿福山十如寺です。

寿福山十如寺題目塔・妙見大菩薩常夜灯

寿福山十如寺題目塔背面上記の写真の右側の題目塔の背面で、「法華堂十如寺」とあります。

 日像上人は、京都にいらっしゃってすぐの永仁二年(1294)ごろから、平野の地で、北野天満宮の参拝者をあつめて法華経をお説きになり、正和二年(1313)にいたり、この地に「法華堂」を開きました。寛正五年八月(1466)に名称は現在の山号・寺号に改められましたが、日像教団の本拠地である妙顕寺とその後身の妙本寺(妙顕寺)・妙覚寺・本応寺(立本寺)などの寺々がしばしば時の権力や比叡山延暦寺などから圧迫をうけて、破却や移転を繰り返したのに対し、このお寺は創立以来、一貫して北野の地に存在し続けたという点で、きわめて貴重な存在といえるでしょう。

 山門からまっすぐのびる通路の両側は庭になっており、真正面にすぐ本堂があります。わりと小じんまりとした境内です。

寿福山十如寺本堂題目塔と「妙見菩薩常夜灯」の間をとおって山門の方へすすんでいくと、「参拝記その9」の上鳥羽妙蓮寺の時とはぎゃくに、坊主頭の男性が運転する車がお寺のほうから出てくるのとすれちがいました。あとでうかがったところによれば、この時、ちょうど副住職がおでかけになったのでした。

インターフォンをならし、日像門流・勇師法縁の寺院の檀信徒であること、千箇寺参りで当山への参拝を希望していること、本堂でお経をあげることと、御前さまがおられるようなら御朱印を頂戴することを希望している、などをつげると、女性の声で応答があり、ご住職は不在だが、お参りはさせていただけるというご返事がありました。。

本堂の正面は、ご本尊と日像上人像をお祀りする部屋となっています。その右隣(南隣)は、三十番神妙見菩薩鬼子母神像など法華経守護の神々をまつる祭壇があります。三十番神の御像は、いままで拝見した寺々のなかでももっとも小ぶりなもので、お座りになったお姿で体高6,7㎝ほどでありながら、精巧な彫りと彩色の、まことに可愛らしいおすがたです。また鬼子母神の御像は2体あり、憤怒相の「鬼形鬼子母神」と、赤子を抱いて柔和なお顔の菩薩相のものとが前後にならべてお祀りしてありました。妙見さまはさらに厨子のなかにいらっしゃって、よくお姿はみえませんでした。

お経は、檀信徒用の常用経本に収録されているものから、方便本・自我偈・欲令衆・運想・唱題・宝塔偈・以要言之などのセットを唱えさせていただきました。応対してくださったのは、副住職の奥様。お忙しい中、お手数をおかけいただき、ありがとうございました。