日像上人の足跡をたずねて

日像上人の足跡をたずねて

日像上人の霊蹟、由緒の地の巡礼記

本鏡山妙智寺(福井県越前市武生柳町)参拝記【参拝記その12】

平成27年(2015)8月10日、菩提寺金龍山妙國寺福井県越前市武生京町)で「銅像法要・盂蘭盆会法要」が開催されたのに参列してきました。10:30~11:30。

法要のあとは本堂でお斎のふるまいがあり、父方親族の同窓会みたいな集いと相成りました。

親族一同解散ののち、ちょっと寄り道して、近所にある日像上人開基のお寺をお参りすることにしました。

 

妙國寺から50mほど東に歩くと、武生の旧市街のメインストリートである「総社前通り」にでます。

この通りを南下した隣町が「武生本町」、右手に「華岳山 経王寺」がみえてきます。

門前の由緒書きによれば、このお寺は、日像上人の開山。もとは戦国大名朝倉氏の帰依を受け、一乗寺谷(現福井県福井市城戸ノ内町)に建立されていたのを、前田利家によって現在地に再建されたものとあります。このお寺は、参拝対象としてリストアップしていなかったのでちょっとビックリ(→帰宅後、「日蓮宗寺院大鑑」をチェックしなおしたところ、[沿革]欄の冒頭部が「貝山実成院日淳。筵師法縁。」とあり、「歴代」の欄では「1.日淳 元和2,3,17(1616)」とあったので、[沿革]欄を熟読することもなく、リストには加えませんでした。「大鑑」では、上引の文面につづけて、「もと足羽郡一乗村にあったが、朝倉義景が滅亡した後現在地に再建。(中略)承応・嘉永年間2回にわたり火災にあい、寺宝, 記録を失う。(中略)(大観には開基日淳、開山日像とある)」と、日淳上人以前の中世期からの歴史をもつ、日像上人ゆかりの寺であることについても、はっきりと記述がありました)

山門あたりから中を伺うと、このお寺では、まさに今これからお盆の法要が行われる様子で、お寺の方や檀信徒の方が慌ただしく動いています。

お参りは遠慮させていただき、さらに南下します。

 

本町をすぎて柳町に入ると右手に見えてきたのが本境山妙智寺。

本境山妙智寺(福井県越前市武生柳町)

 

このお寺は、永仁年間(1293-99)、もと高野山真言宗寺院。日像上人により改宗、日真上人(応永元年寂)により、天授元年に「改宗手続き」を終えたとの由。

「子育鬼子母神」の幟(のぼり)が2流、おおきくはためいています。

子育鬼子母神のぼり(本境山妙智寺)

庫裏前にて訪いを入れると、あいにくお上人は不在でしたが、奥様がおられ、本堂への参拝をお許しいただきました。

 

本堂内は、ご本尊や三師像が祀られている中央祭壇の右手に、鬼子母神・十羅刹女や三十番神が祭られている小さな祭壇が二つあり、左手には、身長60cmほどの大黒天をお祭りする大きな祭壇があります。導師席の背後には、檀信徒のためのお経本(「日蓮宗謹行式」の略本・詳細本)、本堂右手には大黒天専用のお経本があり、左手には檀信徒の皆さんが納めためた「大黒天さまへの祈願のお札」が壁一面に掲示されていました。

このお寺は、とくに大黒天を信仰する人々が集うお寺のようでした。

 

いつものお経セットを奉読したのち、奥様にお寺の特徴などを伺いました。

こちらのお上人は、大荒業を3回成満(じょうまん)され、大黒天の祈祷を行う資格を得らたとのことです。

 

いつか、お上人がおられるときに、また参拝したいと思います。