日像上人の足跡をたずねて
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日像上人の足跡をたずねて

日像上人の霊蹟、由緒の地の巡礼記

日像上人の霊蹟・由緒の地

日像上人 寺社紹介

 

日像上人は、日蓮聖人より「帝都弘通」(ていとぐづう)の命をうけ、北陸経由で京都をめざしました。その道すがら法華経の教えを説き、いくつもの寺院を改宗させました。

 

これからお参りしていきたいと思っている、日像上人の霊跡・由緒の地の一覧です。

お参りを終えたお寺は、▪︎と寺院名の間にお参りした順に数字を入れます。

 

長谷山本土寺日蓮宗本山。千葉県松戸市平賀63

 日像上人の生誕地。(公式サイト)http://www.hondoji.net

 

身延山久遠寺塔頭寺院龍華樹院清水房山梨県南巨摩郡身延町身延3616

 永仁元年(1293年)創建。(公式サイト)http://www.shimizubo.org/simizubo/index_simizubo.htm

 

  

神奈川県(相模)

 

大乗山薬王寺:神奈川県鎌倉市扇ガ谷3-5-1
 永仁元年(1293)の創立。日蓮聖人より「帝都弘通」(ていとぐづう)の命をうけた日像上人は、鎌倉の由比ケ浜において百日間の大荒行を敢行、その後、扇ケ谷で療養。この地には真言宗寺院の梅嶺山夜光寺があり、日像上人はこの寺の住持を折伏改修させた
  (公式サイト)http://www.kamakura-yakuouji.com

 

石川県能登

 

金栄山妙成寺:石川県羽咋市滝谷町ヨ1
 永仁2年(1294)の創立。日像上人は、能登七尾港へむかう船旅の途上、石動山天平寺座主満蔵法印を折伏。満蔵法印は日乗と改名、日乗によって創建された。
  (公式サイト)http://takidanimyouzyou.p1.bindsite.jp
  (『大鑑』「石川二部」, p.659)

 

華開山成蓮寺:石川県七尾市小島町2

 永仁元年(1293)の創立。日像上人は、佐渡より七尾港に向かう際、石動山天平寺の御用船の船主番匠弥右衛門の船に便乗し、七尾港では番匠家に宿泊した。日像上人は番匠家の家内親族を教化し、板本尊を授与、番匠家の真言宗菩提寺を改宗して成蓮寺とした。
   (『大鑑』「石川二部」, p.659)

 

常在山本土寺:石川県鹿島郡中能登町西馬場ユ-3 :
 正安二年(1300)の創立。越中埴生の護国八幡宮の社僧であった乗純は北陸巡錫中の日像に帰依した。永仁二年(1294)年、日像上人は石動山の衆徒に追われるという法難に会ったが、その際、加賀太郎祐乗、加賀北太郎道乗の兄弟が、日像上人を守るため討ち死にした。乗純は、兄弟の追悼のため、現在地に寺院を建立、日像上人より寺号を授かった。
  (非公式)http://tempsera.at.webry.info/201405/article_31.html
  (『大鑑』「石川二部」, p.665)

 

宝栄山妙法輪寺:石川県羽咋郡宝達志水町麦生二の196
 永仁元年(1293)の創立。もと真言宗法輪寺。日像が今浜村の法華堂五兵衛の家に宿泊し、彼の菩提寺法輪寺住職哲源と法論、哲源が改宗し日源と名を改め、寺号改称した。
 (日蓮宗ポータルサイトhttp://temple.nichiren.or.jp/4061013-myouhourinji/
 (『大鑑』「石川二部」, p.659)

 

妙法山成隆寺:石川県輪島市別所谷町43-85
 永仁元年(1293)の創立。もと真言宗宝樹坊。日像が佐渡を経由して能登に滞在した際、輪島の田中の郷において宝樹坊の住持と法談、住持は改宗して日円と改名、寺号改称した。
 (『大鑑』「石川二部」, p.666)

 

 

石川県(加賀)


船岡山円乗寺:石川県金沢市河原市町ハ-13
 永仁元年(1293)の創立。日像が上洛の途上、滝谷山妙成寺を改宗。当寺に在住していた加賀真言宗の山伏・円乗坊円珍が学徳の高いのを知り、海路、船にて当寺に下り、円珍と問答、帰伏させて寺号を改称した。
 (非公式)http://kimassi.net/kankoutiiki/kankou3/enjouji.html 
 (『大鑑』「石川一部」, p.654)

 

一乗山本興寺:石川県金沢市薬師町ロ-75
 永和三年(1377)の創立。日像の教化で真言宗の乗運が改宗し、本化の道場となった。
 (非公式)http://debu373.at.webry.info/201407/article_8.html 
 (『大鑑』「石川一部」, p.654)

 

妙珍山宝乗寺:石川県金沢市車町ハ-103
 建久四年(1193)の創立。もとは真言宗寺院薬師寺。永仁二年(1294)、日像上人が当時の住持、妙珍阿闍梨折伏教化し、改宗させた。
 (非公式)http://www.fukatani.jp/kankou-miru.html
 (『大鑑』「石川一部」, p.655)

 

精進山妙正寺:石川県金沢市東山2丁目18-8。
 永仁二年(1294)の創立。日像上人が大野村の民家で法談した際、改宗帰依するものが多く、その家を寺院として寺号および曼荼羅を授けた。同四年に尚玄がここに堂宇を建立し、開山となった。天正年間に堂宇・曼荼羅の一切を焼亡。元和元年、日条により現在地に移転再建された。
 (非公式)http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/spot_search/spot.php?sp_no=522
 (『大鑑』「石川一部」, p.649)

 

妙布山立像寺:石川県金沢市寺町4-1-2
 日像上人が上洛途上の永仁二年(1294)、越前の国府(武生)に立像庵を建立。その後、天正十一年、日治が前田利家の帰依をうけて金沢に寺領を授かり、現在地に堂宇を建立した。
 (『大鑑』「石川一部」, p.645)

 

 

福井県(越前)

 

報恩寺法華宗真門流):福井県福井市安保町8-3 :

 もとは真言宗寺院と思われる極楽寺。住職の頼尋を折伏して改宗。「法音寺」へ。後に報恩寺と改称。

  (『福井県通史』通史編2 中世より)http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-02.htm

 

光栄山聞法寺福井県越前市家久町71-26

 乾元元年(1302)の創立。もと真言宗の華蔵院和尚が日像上人の教化により改宗、のち日高と改名。

   (『大鑑』「福井県中部」, p.673)

 

▪(12)本鏡山妙智寺福井県越前市武生柳町7-10 【参拝記その12】

 永仁年間(1293-1299)の創立。もと真言宗だったが、住持日真が日像上人により改宗。天授年間(1375-1381)に改宗手続きを完了。

   (『大鑑』「福井県中部」, p.671)

 

(13)長栄山本行寺福井県越前市武生柳町9-3 【参拝記その13】

 永仁2年(1294)3月の創立。もと真言宗だったが、日像上人の教化により改宗。

   (『大鑑』「福井県中部」, p.671)

  

光明山妙勧寺福井県越前市今宿町13-10

 日像上洛の途次、疫病で苦しむ今宿村村民は北紺屋小兵衛の要請を受けた日像の祈祷により全快し、全村あげて真言より改宗。永仁2年(1294)、日像の弟子妙文により、建立。妙顕寺四箇聖跡。

  (日蓮宗ポータルサイトhttp://temple.nichiren.or.jp/4071009-myoukanji/

  (日蓮宗中部事務所による紹介)http://www2.interbroad.or.jp/nfcs/jiin/tera/9%20myoukannji/myoukannji.htm

    (『大鑑』「福井県中部」, p.671)

 

大谷山妙泰寺:福井県南条郡南越前町西大道10-8

  永仁2年(1294)。北陸身延。身延山に似ていると感じた日像が建立。妙顕寺四箇聖跡。

  (公式ブログ)http://myotaiji.blog.fc2.com

  (日蓮宗ポータルサイトhttp://temple.nichiren.or.jp/4071030-myoutaiji/ 

  (日蓮宗中部事務所による紹介)http://www2.interbroad.or.jp/nfcs/jiin/tera/30%20myoutaiji/myoutaiji.htm

     (『大鑑』「福井県中部」, p.677)

 

最初具足山妙顕寺福井県敦賀市元町9-18

  天長2年 春鴬山 気比神宮寺として建立。永仁2年(1294)、日像は覚円を折伏して改宗させた。妙顕寺四箇聖跡。

  (日蓮宗ポータルサイトhttp://temple.nichiren.or.jp/4071038-myokenzi/  

  (日蓮宗中部事務所による紹介)http://temple.nichiren.or.jp/4071038-myokenzi/

    (『大鑑』「福井県中部」, p.678)

 

福井県(若狭)

後瀬山妙興寺福井県小浜市小浜鹿島83

  永仁2年(1294)禅宗寺院の素[由頁]・明覚兄弟を折伏して改宗させ、妙興寺とした。弟明覚が日像を殺そうとした時、三十番神が現れて守護したことに驚愕し、帰依したと伝えられている。妙顕寺四箇聖跡。

  (非公式)http://tempsera.at.webry.info/201306/article_10.html

  (『福井県通史』通史編2 中世より)http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-03.htm

参考資料

福井県史』通史編2 中世

 第六章中世後期の宗教と文化 第二節 仏教各宗派の形成と動向 四 法華宗の動き

北陸布教(http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-01.htm

越前での日像の足跡(http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-02.htm

若狭への弘通(http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-03.htm

京都の弘通と四条門流の成立(http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-04-04.htm

 

経王山妙善寺福井県大飯郡おおい町名田庄久坂5号11-1

  永仁年間(1293-99)の創立。日像の教化により小野正伯一族が改宗し、名田床三重に法華堂を建立する。天文年間(1532-1555)に三重より現在地の久坂に移転(『大鑑』「福井県南部」, p.683)

 

京都府丹波

知見山正法寺京都府南丹市美山町知見小字家ノ上25
 もと聖宝九年(909)創立の天台宗寺院。永仁元年(1293)、住僧の多宝院日大良仁が日像上人と法論のすえ、1山を挙げて改宗し、山寺号を長栄山本像寺とあらためた。昭和三十五年(1960)、顕本法華宗本妙寺の檀徒を吸収した際、現在の山寺号に改称した。

 (『大鑑』「京都府一部」, p.731)

 

 具足山心蓮寺京都府南丹市美山町小字横坂14
 永仁二年(1294)、日像上人が北国弘通のみぎり、若狭から八ヶ峯を越え、当地の知井を訪れた際に創立。

 (『大鑑』「京都府一部」, pp.731)

 

 妙遠山善行寺京都府福知山市天田北岡155
 もと真言宗寺院。建武二年(1335)、時の住僧大円坊が日像上人と法論の末、改宗して寺号を現在の山寺号にあらため、日像上人を開山にあおぎ、みずからは大乗院日円と改名し、2世となった。

 (『大鑑』「京都府一部」, pp.733)

京都府(山城)

※日像教団の拠点

法華堂:永仁2年(1294)、下京の綾小路大宮の地に創建。京都における日像上人最初の拠点。

法華堂(十如堂)正和二年(1313、日像上人が上洛以来、天満宮の参拝者に説法を行ってきた北野の地に建立。

妙顕寺:元亨元年(1321)、「三黜三赦の法難」のすえに建立した、日像教団の拠点。建武元年(1334)には後醍醐天皇から勅願寺の綸旨を受け、暦応四年、四条櫛笥の地に「方一町」の土地を拝領、妙顕寺はこの地に移転した。日像教団の別名のひとつに「四条門流」とあるのは、これにちなむ。

 

「三黜三赦(さんちつさんしや)の法難」というのは、日像上人が追放例を受けて京都を追われ、許されて帰還する……というのを三度も繰り返したことを指すが、ようやく勅許をえて日像教団が四条の地に本拠を構えたたあとも、この地に安住できたわけではなかった。日像上人の没後、日像教団は教義上の対立から分裂したり、比叡山から圧迫をうけて何度も寺ごと京都を追い出されたり、あるいは時の権力者に境内を接収されて移転を余儀なくされるなど、有為転変を重ねるのである。

 

 現在、妙顕寺に起源をもつ日蓮宗大本山は三ヶ寺ある。

▪(1)具足山妙顕寺日蓮宗大本山。龍華三具足の一。京都府京都市上京区妙顕寺前町514:

 日像教団が、明徳4年(1393年)、三条坊門堀川(現中京区堀川御池)の地で本拠地を再建した際、寺号を妙本寺と名乗った。妙本寺はその後も何度も破壊と再建と移転を繰り返したのち、永正・大永年間(1504 - 1528)、妙顕寺の名義を継承した。

  (公式サイト)http://shikaishodo.com

▪(3)具足山妙覚寺日蓮宗大本山京都府京都市上京区下清蔵口町。

 1378年(永和4年)、教義上の意見対立から妙顕寺を離れた日実によって創建。日像を開山、日実を四世とする。龍華三具足の一。

▪(2)具足山立本寺日蓮宗大本山京都府京都市上京区一番町107

 1413年(応永20年)の比叡山延暦寺による破壊のあと、妙顕寺の旧地に日実が1416年(応永23年)に建立した本応寺を起源とする。その後の一時期、妙本寺との間で「妙顕寺」の名義を争った。龍華三具足の一。

  (公式サイト)http://honzan-ryuhonji.com

 

 下記の寺院は、法華堂を再建した、という位置づけで建立された。

▪(9)卯木山妙蓮寺:本門法華宗大本山京都市上京区妙蓮寺前町875。→【参拝記その9】

 応永年間(1420)日慶によって、法華堂を「再建」したという位置づけで建立。

 (公式)http://myorenji.or.jp

 

▪(8)寿福山十如寺京都市上京区御前通一条下ル下堅町149 →【参拝記その8】
 永仁二年(1294)ごろより、日像上人は上京北野の地において、北野天満宮の参拝者をあつめて法華経を説いた。正和二年(1313)、日像上人は同地に「法華堂」を創立した。日像上人の説法の内容から「十如堂」とも称した。寛正五年八月(1466)、日春により現在の山号・寺号に改められた。
 (『大鑑』「京都府一部」, p.698)

 

宝乗山直行寺:京都府宇治市宇治2-91
日蓮聖人が南都遊学の霊跡参拝の途上、宇治の地にたちより、当時の茶司金地久弘を教化した。
その後、日像上人がその屋敷跡に庵を建て、洛中布教の時の宿とした。はじめは直行庵と称し、2世大覚実の時、後醍醐天皇より宝乗山直行寺の寺号が贈られた。

※日像上人が改宗させた京都近郊の寺院 

▪(7)法光山妙蓮寺京都市南区上鳥羽島田町21 →【参拝記その7】
 徳治二年(1307)、日像上人が三黜の法難の第一の折、西国におもむく際、天台宗の小庵にて休息され、庭石を法座として説法を行った。これにより庵主の妙蓮尼をはじめ聴聞の大衆のほとんどが入信・改宗し、1年後に現在の山号・寺号に改めた。京都21本山のひとつ。

 (『大鑑』「京都府一部」, p.726)

 

松崎山妙泉寺:徳治元年(1306年)、日像上人が、松ヶ崎村の天台宗寺院・観喜寺の住持実眼を折伏して改宗させ、妙泉寺となった。大正中期、東隣の本湧寺と合併して湧泉寺となる。
 
 本湧寺天正2(1574)に壇林として創建。
 
 (5)涌泉寺京都府京都市左京区松ケ崎堀町53。大正7(1918)、妙泉寺と本湧寺が合併して成立。松ヶ崎壇林の遺構を本堂としている。

 

真経寺:日像上人が土佐への流刑を命じられて西国へ下る途上、乙訓郡に滞在し、1307年(徳治2年)、鶏冠井(かいで)村の真言宗真言寺の実賢律師を折伏して改宗させ、名を真経寺とあらためた。江戸時代の承応3年(1654)、真経寺に壇林が開講されることとなったが、「真経寺を南北の2ヶ寺に分ける」と位置づけられ、従来からの真経寺は西に400メートルほど離れた興隆寺の境内に間借りする形で移転して南真経寺となり、真経寺の境内をそのまま引き継いで設置された壇林は北真経寺となった。
  北真経寺京都府向日市鶏冠井町御屋敷28
  (6)南真経寺京都府向日市鶏冠井町大極殿64

 

広布山法華寺京都府向日市上植野小字西小路24
    :はじめ真言宗であったが、延慶3年(1310)に日像上人の教化により改宗する。

 

▪(4)深草山宝塔寺京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町3
    :平安時代の昌泰2年(899)、藤原時平により極楽寺として建立。日像上人は延慶年間(1308 - 1311年)、当時の住持は良桂と法論をおこなって折伏真言律宗より改宗させ、寺院名も宝塔寺となった。京都で没した日像上人はこの寺で荼毘にふされ、日像上人の本廟もこの寺にある。

 

滋賀県 

具足山妙感寺滋賀県近江八幡市馬淵町492:
 妙感寺は永仁四年(1296真言宗の寺院として建立されたが、応長1(1311)、鎌倉に向かう日像上人の説法をうけて改宗。江州三具足。
 (中山道の旅行記)http://outdoor.geocities.jp/byffg309/5kaido/191/191.html

 (『大鑑』「滋賀県」, p.794)


具足山法華寺滋賀県守山市今浜町205:
 永仁2年(1294)、日像上人が近江布教のため堅田から木の浜へむかうための船中、今浜の庄屋今江彦左衛門が上人に帰依し、今浜の地に小庵を構えたのを起源とする。江州三具足の一。
 (守山市神社仏閣マップ)http://www.city.moriyama.lg.jp/shokokanko/documents/jinnjabukkaku_22_01.pdf

 (『大鑑』「滋賀県」, p.796)

 

(10)具足山本像寺滋賀県守山市今宿町145:【参拝記その10】
 応長元年(1311)、日像上人が鎌倉へ向かう途上、守山宿にて、夢の中に若珍大明神が現れ、しばらく同地に滞在して法を説くよう乞うたので、しばらくこの地に滞在して辻説法を行い、熱心な信徒もできたので、宝塔を建立し、小庵を構えたのを起源とする。江州三具足の一。
 (公式)http://www.honzoji.com/syodo/yuisyo.htm

 (『大鑑』「滋賀県」, p.795-796)

 

(11)長照山真常寺滋賀県大津市末広4-7:【参拝記その11】
 もとは大津松本の山頂にあり、松本山大津寺と称した。天武天皇の皇子の御殿を併せて寺とし、四宗兼学の雄閣であったが、後に真言宗に改宗した。

 永仁六年(1298)、裕慶住職のとき日像上人の教化を受け、全山を挙げて改宗、裕慶も名を日蒙とあらためた。

 天正九年(1581)、領主京極氏による築城のため立ち退きを求められ、現在地に移転した。

 (『大鑑』「滋賀県」, p.798)

 

古高山円成寺滋賀県守山市古高町123:
 永仁6年(1298)、日像上人による創建との記録あり。
 (『大鑑』「滋賀県」, p.796)

 

具足山妙経寺滋賀県近江八幡市長福寺129:
 もとは真言宗長福寺。文保二年(1318)、日像上人の教化を受けて改宗し、現在の山号・寺号に改めた。

 (『大鑑』「滋賀県」)

 

霊亀山妙立寺滋賀県長浜市加田町107:

 もとは天台宗寺院で正治元年(1199)には後鳥羽上皇の勅願所となり、末寺15ヶ寺を有していたが、後に廃寺となった。

 延慶二年(1309)、日像上人は、日実をともなう北陸弘通の途上、江北浅井の領主平井右京大夫友清の館で法華経を講じ、友清を帰伏改宗させたが、その際、現在の山号・寺号を称するようになった。

 (『大鑑』「滋賀県」, p.792-793)

 

小足山常昌寺滋賀県長浜市新栄町402:
 正中元年(1324)、日像上人が北陸弘通に赴く途上で開基した。。
 (『大鑑』「滋賀県」, p.792)

 

愛知県(尾張 

正悦山妙行寺:愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22:
 もと真言宗の正起山本行。永仁2年(1294)、日像上人が京都弘通のため同地を通過の際、改宗。のち火災のため堂宇を消失、天文年間に再建された際、現在の山号・寺号にあらためられた、と寺伝は伝える。
 (公式サイト)http://www.myougyouji.jp

コメント:尾張は日像上人の上洛ルートから外れている。改宗は、日像上人の上洛時ではなく、「日朗上人への報告・母者の墓参」のため鎌倉へ下った文保年間(1312-17)のできごとではないだろうか。

 

※日像上人由緒の地(京都府福井県和歌山県

石塔・題目岩・説法石・流刑地など日像上人の由緒の地・聖遺物や、これらを祀るため後代の人が建てた寺院、近現代の人が設置した記念碑などを収録。

 

日像説法石京都府向日市向日町北山65。もとは向日神社の境内にあったさざれ石のひとつ。大正十年(1922)、旧西国街道に面した現在地に移動し、霊蹟として整備された。
   徳治2年(1307)、日像上人が土佐配流となり、乙訓村に滞在中、夢の中に向日明神があらわれ、説法を乞うた。日像上人はこの石に座りながら辻説法を行い、実賢を折伏したのを始め、鶏冠井村に法華経信仰をひろめていった。
   (非公式)http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/25175442.html
   (非公式)http://bittercup.blog.fc2.com/blog-entry-4114.html

 

▪法性山石塔寺:延慶3年(1310)3月8日日像上人が、京の西郊の鶏冠井(かいで)の地に題目石塔を建立したのを起源とし、文明年間(1470)ごろ伽藍が整い、「石塔寺」と号するようになった。かつては近畿・備中などに33ケ寺の末寺をもち、17世後半には妙顕寺に属する「中本山」だったこともある。現在は単立の「本化日蓮宗」の本山。
同寺の檀信徒は、南北真経寺の檀信徒とともに「鶏冠井題目踊り」を伝承している。
 (非公式)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/je3uzs/sekito.htm
 (非公式)http://everkyoto.web.fc2.com/report1346.html
 (非公式)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/je3uzs/sekito.htm

 

 智照山慧光寺京都市上京区浄福寺一条上ル笹屋町1-562-1

 弘治三年(1557)、日像上人の旧跡で当時「弘通処」といわれていた新在家に建立。
  (『大鑑』「京都府一部」, pp.694-695)

 

妙法山燈明寺京都市上京区六軒町通今出川上ル佐竹町119
 永禄元年(1558)、開基日経により、日像上人の「七口之塔」奉安のため建立。

 (『大鑑』「京都府一部」, p.694)

 

妙喜山法華寺京都市上京区御前通一条下ル下堅町153
 延文年間(1356-61)、日像上人の帝都弘通の旧跡に、大覚妙実が「法華堂」として一宇を建立したのが起源。のちに荒廃し、江戸時代初期に現在の山号寺号で再考された。

 (『大鑑』「京都府一部」, p.698)

 

唱導師日像聖人巡錫地左京区下鴨松ノ木町。
   法華経を埋めたところ、子供の夜泣きがなくなったという。
   (非公式)http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/sa156.html 写真付。

 

文殊山題目岩福井市鯖江市の境界にある文殊山の山中に位置する。

 (「上文殊の伝説」)http://www1.fctv.ne.jp/~kmonju-k/densetu.html

 (ハイキングした方の登攀記。写真付)http://0776368539.at.webry.info/200809/article_4.html

 

岩題目山妙真寺鯖江市大正寺町173

 大正8年(1919)建立。再発見された岩題目を護持しようと志した日真によって建立された。

 (日蓮宗中部事務所による紹介)http://www2.interbroad.or.jp/nfcs/jiin/tera/22%20myousinnji/myousinnji.htm

 

法華壇和歌山県日高郡日高町:日像上人が紀伊に配流されていた際の旧跡。
   (広川町商工会)http://www2.w-shokokai.or.jp/hirogawa/kankou/kumanokodo/index_kumanokodo2.html
   (非公式)http://h-kishi.sakura.ne.jp/kumanokodou-3.htm 解説日像上人の名前は登場しないが、現状がハッキリわかる写真つき。

 

長流山養源寺和歌山県有田郡広川町大字広1465−1
 
  正平十年(1357)、京都妙顕寺の妙実上人が弟子朗妙を伴い、師の日像上人が且って配流されたことのある鹿背山を訪ね朗妙に草庵を結ばせたのが起源。
  (広川町商工会)http://www2.w-shokokai.or.jp/hirogawa/kankou/kumanokodo/index_kumanokodo2.html

 

 

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【更新履歴】

2015年6月17日 滋賀県守山市の古高山円成寺の情報を追加。

2015年6月14日 コメント欄・森本氏のご教示を参考に、愛知県名古屋市中村区の正悦山妙行寺の情報を追加。日像上人による改宗時期の考察も付記。

2015年6月10日 福井県大飯郡おおい町の経王山妙善寺の情報を追加。

2015年2月2日 福井県越前市の光栄山聞法寺の情報を追加。

2015年2月1日 福井県越前市の本鏡山妙智寺・長栄山本行寺の情報を追加。

2015年1月21日 京都府宇治市の宝乗山直行寺の情報を追加。

2015年1月20日 京都府向日市の広布山法華寺の情報を追加。

2014年12月9日 【参拝記その7】【参拝記その8】【参拝記その9】へのリンクを追加。

2014年12月6日 十如寺を「日像教団の拠点」の項に移動

2014年12月2日 お参りした寺院に参拝順に番号を付す。

2014年12月1日 鎌倉市薬王寺の情報を追加。

2014年11月28日 向日市石塔寺の情報を追加。「日像上人由緒の地」の項目の説明書を修正。

2014年11月22日 「京都府」の項を「京都府(山城)」と「京都府丹波)」に分割。

 妙喜山法華寺のデータを「日像教団の拠点」の項から「日像上人由緒の地」の項へ移動

(中略)

2014年7月11日 このエントリーを公開