大本山妙顕寺・「花祭り並八日講」に参詣
長らく、お寺の年中行事には、菩提寺で毎年8月10日に行われている「戦没者供養・銅像法要、盂蘭盆会法要」にしか参加したことがありませんでした。こんな「名ばかり仏教徒」の有様ではあまりにわびしいと、お盆の棚経でお世話になっている水上山妙光寺(滋賀県大津市)、そしてこの妙光寺や菩提寺の旧本山で、「日蓮宗大本山」でもある具足山妙顕寺(京都市)の行事に参列してみました。
参加した行事は、妙光寺が「除夜の鐘」(12月31日〜1月1日)と「三社大明神例大祭」(5月17日)、妙顕寺の行事が「花祭り並八日講」(4月8日)です。このみっつの行事では、「同宗同門のよしみ」というもののおかげでしょうか、妙顕寺・妙光寺の檀信徒のみなさまには、初対面の私をとても親切にうけいれていただき、とても新鮮で心温まる体験ができました。
以下は、4月8日、妙顕寺で行われた「花祭り並八日講」という行事の参加記録です。「花まつり」というのは、お釈迦様の生誕を紀念する仏教各派共通の行事、「八日講」は、妙顕寺が毎月8日に「鬼子母神堂」(尊神堂)で開催している、諸天善神を供養するお祭りです。
正門。桃色の花が満開です。
正面が本堂、右手は日蓮聖人・日朗上人・日像上人をお祀りする「三菩薩堂」です。正面の本堂が、本日の1時からはじまる「花まつり」の会場です。
11時30分すぎ、受付のある寺務所(本堂の左手奥)に到着。
入り口まえに立て札があり、「行事の際には拝観・御朱印をお断りすることがあります」とありますが、前々日に、妙顕寺の旧末寺の檀信徒で参詣を希望している旨をお伝えし、お許しをえているので、そのまま進みます。
散らし寿司・お吸いもの・お茶の昼食をいただき、行事の開始をまちます。
本日最初の行事は、12時30分からはじまる「諸堂巡り」です。妙顕寺の境内には、さまざまな場所に「法華経擁護の諸天善神」が祀られており、それらの神様たちの前でご祈祷があるのです。
最初は、本堂東脇の「龍神廟」に祀られている八房大龍神(はちふさ-だいりゅうじん )。
こんどは境内の西側に移動し、観音菩薩像のもとへ。
そして観音像のすぐ南側にある、妙見宮。星の神様「妙見大菩薩」がお祀りされている小さな「祠(ほこら)」です。
ふたたび本堂の東側に移動して、こちらは「慶中様」。別名「慶中稲荷」、「慶中大菩薩」とも。
お寺の境内なのに、鳥居がふたつも並んでいるところが、お稲荷さまらしく思いました。
そして、最後は、次の写真の右下に写っている井戸の前で、「龍神明王」へのご祈祷。
ここで、「諸堂めぐり」は終了です。
法華経には「陀羅尼品」(第二十五)という一章があります。
「あに まに まね ままね しれ しゃりて しゃみゃ…」という不思議な響きをもつ文句がならんでいますが、菩提寺でのお盆の法要や、妙光寺の若上人に来ていただいている棚経ではこれが読まれるのを聞いたことがありませんでした。
この「諸堂巡り」では、神さまたちに奉読されるお経として、ほぼ必ずこの一章が含まれています。実際に唱えられるところを、はじめて拝聴しました。
ひきつづき、本堂に場所をうつして、午後1時より「花まつり」の始まりです。
導師は妙顕寺執事長の清田上人さま。
本堂祭壇のまえに可愛らしい金銅製の小さなお釈迦さまの像があり、お経の奉読(内容・構成ははじめて聞くものばかりで、記憶できませんでした)につづいて、参列者が焼香し、甘茶を釈尊像に注ぐなどを行いました。
「花まつり」にひきつづき、会場を「尊神堂」にうつして、午後2時より「八日講」です。こちらの導師も清田上人です。
このお堂は、扁額に「鬼子母神堂」とあるように、もともとは鬼子母神をお祀りするためのお堂だったようで、こちらの江戸時代の古い境内図をみますと、「子安鬼子母神」とあります。お堂の中も、神様たちの像が祀られている祭壇の前からお堂の入り口まで、壁の両脇には「鬼子母尊神」の提灯がずらっとならべられており、きわめて「鬼子母神堂」な仕様です。
しかし、現在、祭壇にお祭りされている神様は、鬼子母神とその娘たち(十羅刹女)の皆さんだけではありません。中央には、このお堂のサイズにふさわしい大きなサイズの、厨子に収められた鬼子母神像や十羅刹女のお像(11体あったので、十羅刹女以外のお方の像もあるのかも)がありますが、その右脇には、窮屈そうに小さな祭壇があり、手の平サイズの小さな三十番神さまたちが祀られています。番神様たちが並んでいるひな壇の最上段には、番神さまたちと同じサイズの女神像があります。七面天女さまでしょうか。また正面祭壇の手前には、白木の大きな大黒天像があります。受付でいただいた妙顕寺のパンフレットの伽藍配置図にも、お堂の名前が「鬼子母神堂」ではなく、「尊神堂」と記されています。
上記の絵図を見ますと、図の右側(境内の東南部)に、独立した「三十番神堂」や「七面大明神宮」が描かれています。これらのお宮さんの場所は、現在は外から境内に食い込むような形で「関西電力室町変電所」の敷地となり、変電所の大きなビルがたっています。
もとは扁額のとおり、鬼子母神 親娘のためのお堂でしたが、現在では(妙見さまやお稲荷さんを除く)他の神様たちを受け入れて、諸天善神のためのお堂になっているようです。
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花まつりの法要のあとの清田上人の法話も、とても印象的でした。
お題は、日蓮宗の祭日の移動について。
近年、日蓮宗のお寺では、檀信徒の都合にあわせ、宗門の聖日・祭日の行事を土曜・日曜に移動して行うところがおおく見受けられるようになったけれども、大本山たる妙顕寺では、あくまでも日付どおりに行事を遂行します!
というようなご趣旨でしたが、印象的だったのは、お話の雰囲気。なんだか「大本山」っぽくないんですね。村のお寺の和尚さんが村人にむけて話すような、とてもアットホームな雰囲気。
「八日講」のあと、檀信徒の方から教えていただいたのですが、妙顕寺では、昭和16(1941)年に本末制度が解体された際、従来からの檀家はすべて九院ある塔頭に分属し、妙顕寺の本体にはまったくなくなった。現在約50軒ほどある檀家と信者は、その後ゼロからあらたに集ってきた人々だとのこと。
この日、参詣していた檀信徒の数は20人ほどで、私を別にして、みなさん、いつもお参りにくる熱心な檀家さん、信者さんばかりだったとのこと。清田上人のお話しぶりが、よそ行きでない、顔見知りばかりの人々に話しかけるような雰囲気だったのも当然ですね。
菩提寺でのお盆の行事は、いつも本堂をぎっしり埋めつくほどの参加者があり、却ってお上人や他の参拝者の方々と言葉を交わす機会がありません。言葉をかわすお参りの人といえば、一年ぶりに顔をあわす親戚くらいです。
今日の行事では、「妙顕寺の旧末寺の檀信徒です」というひとことで、このアットホームな雰囲気の仲間にいれていただくことができ、とても興味深く楽しいひとときをすごさせていただきました。
ありがとうございました。